2006年 アメリカUCLAより帰国後、東京ミッドタウンデンタルクリニックに勤務、ドクターを教えるドクター「フライングドクター」というスタンスで都内クリニックの数々のインプラント難症例に携わってきた山中院長。このたび2011年2月、地元「浜田山」にて山中デンタルクリニックを開院。普段語られることのない歯科医師「山中 隆平」の素顔に迫ってみました。

(2011年2月:聞き手:株式会社Bリンク Dマーケティング事業部 田中)

――現在のインプラントドクター山中先生が誕生される経緯についてクローズアップしてみたいかと。まず初めに歯科医師を目指したキッカケを教えてください。

歯科医師

とっかかりは素朴な疑問からだったんです。「口の中にも外科があるのか」と思ったことです。最初はガン治療にすごく興味があったんです。舌癌、歯肉ガン、頬粘膜ガンなど…。脳や心臓の外科なら想像はついていたのですが「口の外科ってなんだ?」と思って(笑)。

口の外科「歯科口腔外科」は歯医者がやるっていうのを聞いて、「歯医者でそういうことまでやるのか、おもしろいな」と思ったのが目指したキッカケですね。

――それからどうやってアメリカに渡ることになったのでしょうか?

勤務していた昭和大学口腔外科では外科処置ばかりをやっていました。口腔ガンや事故で顎が無くなった人に対しての治療です。口のガンというのは噛んだり、飲み込んだりという咀嚼機能を回復させなければいけないため、他の体の部位のガンと違い、切除のあとの再建手術が必要なんです。

その再建手術にインプラントを利用していたのですが、足の骨(腓骨)を顎に移植し再建してインプラントを埋入して回復させ、普通に噛めている患者さまを何度も目の当たりにしました。

その時「これすごいな、ホント元に戻ってるな」と。インプラントに対してすごく魅力を感じたんですよね。いわゆる顎の再建、お口の中の再建(リコンストラクション【reconstruction】)という分野に対してすごく興味が出てきたんです。

それが2000年初頭です。今から10年前は、今のようにそんなにインプラントがまだ一般歯科で普及していなかったころです。特殊な治療というイメージで特別に訓練を受けている先生方しかインプラントを導入していませんでした。まだまだインプラントは懐疑的な目でみる先生も多い時代でしたが、僕自身はインプラントが画期的だなと思ったんです。

だから「インプラントを海外の本場で見たい」とずっと思っていました。ちょうど口腔外科勤務4年目、最先端のアメリカで学んで吸収してその技術で大学に貢献したいという思いがすごく強くなっていた時期です。

取材
▲現地のメディアから留学生
として取材を受けるDr.山中

そんな時、アメリカUCLAに行けるチャンスがきました。
厚生労働省からの留学サポート枠というのが全国の大学にありまして、自分の昭和大学がちょうどその年だったんです。

自分が気づいたときには申込みの締め切りも過ぎていて「該当者なし」というところまできていたのですが、ずっと「海外で勉強したい」と口に出して周りに言っていましたので、先輩方や教授など大学のたくさんの人たちが動いてくれて僕を推薦してくれたんです。それでなんとか渡米できることになりました。今思えば、本当に感謝です。

――UCLAへ渡米後は、すぐに「歯科インプラント」を専攻できたわけではなかったんですよね。

そうなんです。最初はUCLAの「顎顔面補綴科」という科に配属になりました。ガンで目がなくなった、耳がなくなったという方々に対してインプラントを打つ処置をするところです。口ではなく、顔に直接アタッチメント式ではめるタイプの生体インプラントを見てきました。それはそれで凄いことだったんですが、僕がやりたいのはあくまでも口の中でした。

その後「歯周病科がもっと口の中のインプラントをやっているから」と声をかけていただいて、それで歯周病科に移ってレジデント(研修医)と一緒にやっていたんですが、自分はもう4年目で日本でも数多くの外科処置をこなしていたので他のレジデント(研修医)よりは全然出来たんです。それでは物足りなかったんですよね。

Dr.Sascha A Jovanovicとの出会い ―。

歯科医師
▲Dr.山中とDr.サーシャ

そのころDr. Henry TAKEI(ヘンリータケイ先生)という日系の先生にお世話になっていました。
Dr. TAKEI(タケイ先生)はペリオ(歯周病)の有名な名誉教授でUCLAでも僕のことをすごくよくしてくれてたんです。

Dr. TAKEIに現状に満足していないことを伝えました。そしたら「君のやりたいことはDr.サーシャが持ってるからサーシャのところに行きなさい」と。サーシャは元々、タケイ先生に師事していましたのでそれで紹介してもらったんです。

その頃、彼は1人で自分のオフィスをもってやっていたんですが、ろくにアシスタントがいない状態で切り盛りしていたようで、丁度いいアシスタントを探していたらしいです。

――そんなパイオニアの先生のアシスタントドクターの座をなぜ山中先生が獲得できたのでしょうか?

まぁ馬が合った、相性が良かったというのもありますが、僕とサーシャの距離をぐっと縮めた印象的な出来事がありました。サーシャと僕が初めて会った、彼がちょうどオペ中のときでした。この時のエピソードも大変面白い話なのですが、ここでは割愛いたします(笑)。

なんだかんだで彼のファーストアシスタントドクターとなりましたが、しばらくしてから分かった事なのですが
サーシャの執刀する骨造成だとか軟組織を持ち上げる処置だとか、彼はそういう治療の第一人者だったんです。日本ではインプラント界の貴公子と呼ばれていたそうで。

最初は勉強という形でサーシャに師事したのですが、その後だんだんと勉強+仕事という風なスタンスに変わっていきました。

――たまたま出会って師事したボスがDr.サーシャだったのですね。

オペ
▲Dr.サーシャのインプラントオペ

すごくいい上司に恵まれたと思います。彼の治療は僕の目指している治療、いわゆる自分が理想としているインプラント治療だとすごく思いました。

通常インプラントを埋められないような場所でも土台をしっかり作ってあげればインプラントが入れられる。要するに骨を持ってきて移植したり造成したりと、そういった骨再生を併用したインプラント治療をそこで勉強させてもらったんです。

彼のオフィスでの3年半は、彼の手術の途中までを担当したり、最後までやらせてもらったり、それこそ受付もやらされました(笑)。結果的に治療技術だけでなく医療サービスとしての患者様への対応も学びました。

彼の面白いところは、治療の動画をインターネットにアップしていることろです。gIDE(ガイド)という勉強会の主宰者なんですが、gIDE(ガイド)は講演者がWEB上でパワーポイントでレクチャーするんです。これが人気となり、いまやドクターたちもサーシャのWEBで講演をすることがちょっとしたステイタスになってきているんです。

最初は苦労もあったようですが、彼は継続は力なりということを知っているんですね。このgIDE(ガイド)にもさまざまな形で協力しましたが、彼からは治療以外のことでもすごく色々なことを学びました。

数々の有名人のインプラントオペを執刀 ―。

――さまざまな有名人も来院され、山中先生も有名人の執刀をされたようですね。

受付
▲Dr.サーシャのオフィス受付

サーシャはPERIODONTISTの専門医。アメリカでは歯周病の先生がインプラント治療をするのが一般的です。ですので周囲のビバリーヒルズだとか高級なオフィスにいる先生方が、みんなサーシャにインプラントを依頼していたんです。そこから患者さまが来ますので、さまざまな有名人もたくさん治療しました。

実はダイアナロスですとか、歌手のスティングですとか、宇宙に民間人で初めていった旧ソ連の資産家の方ですとか、世界的に有名なスタイリストの方ですとか、本当にいろんな方の治療に携わったんです。ダイアナロスさんは、治療後、普通に仲良くなって普通に食事に行きました。TVで見る人と食事にいったんだよなぁと、今思えば不思議な感じです。

――Dr.サーシャは上司ですが、いわゆる日本の上司とは関係性が違うようですね。

どちらかというとパートナーに近いかもしれません。サーシャに師事できたこともラッキーでしたが、他にもよかったなぁと思うのは世界中で活躍している先生方と交流がもてたこと、友人が作れたこと。今でもコロラド州やドイツの先生たちと仲良くやれていますし、そういう先生から常に最新の治療法の情報をもらえるのはすごくいいなぁと。これは向こうに行っての大きな財産となりました。

今でもサーシャとの交流は続いていますし、くだらないメールのやりとりもよくします(笑)。彼にも「年に1回は必ずアメリカに来い」と言われています。自分は向こうでの生の治療を第一人者とずっと一緒にやってきたので本当によかったと思えます。

帰国のキッカケ

――お話を聞く限りでは、アメリカでの生活は本当に楽しそうですよね。帰国するキッカケはなんだったのでしょうか。

1年半の予定が3年半もいましたし、その間にアメリカで子供も生まれ、大変難しいことでもありますがデンタルライセンスを取得して永住しようかなとも考えました。でもアメリカに来る本来の目的が「いい治療を持ち帰って大学で貢献する」ということだったので、「日本でいい治療をしていくこと」が自分の使命だとも思いました。ものすごく迷ったのですが、最終的には帰国を決断しました。

――帰国後も精力的に活動されていましたよね。筆者ともさまざまなクリニックでお会いしていますが…。

そうですね。アメリカにいるときに東京ミッドタウン内の歯科クリニックの話が来まして、いったん大学に戻り、帰国後5か月後に東京ミッドタウンデンタルクリニックに常勤医として就職しました。立ち上げ当初からオープニングスタッフのインプラント外科医として3年間やらせていただきました。当然インプラントだけではなく一般治療も経験しました。そこでいわゆるチーム医療というものをずっとやってきました。そのとき私の上司であった高井先生には多くのことを教えられ本当に感謝をしております。

外国人からも指名がくる「世界の治療を浜田山」で―。

実はミッドタウンでも患者さんの3割は外国人だったんです。アメリカのインシュランスフォーム(保険の処理)も自分で処理をしていたので、アメリカの生命保険会社「シグナ」のリコメンデーションドクター(推薦医師)になっています。どうやらシグナの海外保険に入っていらっしゃる方は「日本で何かあったらDr.山中のところへ行け」となっていたようで…。外国の患者さまもストレスなく対応できるようにしていきたいんです。

実はミッドタウンのあと、汐留の歯科医院で非常勤で治療をしていたんですが、どこで噂を聞きつけてか、外国人の患者さまから「ドクターヤマナカいますか?」といきなりアポがありました。本当にうれしいことです。

その間にも自分の特殊な技術をかっていただける先生方がいましたので、我々は「フライングドクター」と呼んでいるんですが、合間をぬって都心部の出張オペをずっと続けさせていただいていました。

自分のコンセプトとしては「米国の治療を、ハイクオリティートリートメントを浜田山で」です。
米国とミッドタウンでしっかり経験させてもらったものを、渋谷や恵比寿や青山に出ずとも、ここで済んでしまうような、そういう治療を浜田山で目指したいと考えています。

地元「浜田山」への思いが開業へとつながる ―。

――開業を決めた理由、そして浜田山を地に選んだのは?

紅葉
▲浜田山「柏の宮公園」の紅葉

子どもが二人いてまだ小さいんですが4歳と2歳。子育ては成長するにつれて大変になってきます。そう思ったら自分が自由に何でもやれる最良の時期って今なのかなと思いました。

帰国後、出張オペで都心部のクリニックで治療していて思ったこと。やっぱり自分のライフスタイル、地域医療、そういったものに目を向けたときに、浜田山が自分には落ち着く場所だと再認識しました。

浜田山小学校、高井戸中学校が出身校で地元なんです。昔は悪さばっかりしてました(反省)。そういった意味で近所の方々には幼少の頃からお世話になっていますし、同級生も多いし、何かと心強い。そして浜田山だったら渋谷や新宿にも電車や車でアクセスがいいし、都心からでも遠方からでもかろうじて患者さまに来ていただけるのかなと思ったんです。

また父親が井の頭通り沿いで内科・小児科を開業しているというのもありました。
父親にも「自分の好きなようにやれ」と言われました。父親も今の「山中医院」を開業するときに50歳手前からの病院勤務からのチャレンジだったんです。僕は長男で4人兄弟だったので父親も大変だったと思います。医師家系の同級生と比べても山中家は決して裕福ではありませんでした。父親のそういった背中を見てきた分、自分もチャレンジしようという気持ちが湧いてきました。

――お父様の「山中医院」はお子さんが多く集まるクリニックだそうですね。

山中医院
▲父親の開業する「山中医院」

内科・小児科でやっている父親ですが、結構なお子さんが父親のクリニックに集まってくださっているみたいです。父親は日赤病院という大病院でずっと第一線でやってきていたので、息子の自分がいうのもなんですが、とにかく診断能力が高く定評があります。

また麻酔科部長でしたので点滴に対する薬の使い分けがすごく上手なんです。例えば赤ちゃんからお年寄りまでどんな人でも的確に点滴が打てると定評があるみたいです。日赤病院には父の仲間の先生方も在籍しているので他科との連携も強いんです。

実は祖父も医者なんです。荻窪で開業していたんです。現在91歳。元気に87歳まで現役でやっていまして、3年前にたたんでしまったんですが、父親は祖父の後をあえて継がないで自分のやり方で浜田山に開業しました。自分も同じように開業する身になるわけですので、親子3代、自分は歯科分野ですが、なんだか感慨深いものがあります。

これからの歯科は「他科との連携」も重要

――全身的な疾患にも対応するために、お父さまの医院近くに開業するというのもメリットに?

自分は歯科なわけですが、内科ということを考えると高齢化に伴い全身的な既往歴のある方が多くなってきています。糖尿病などの内科的疾患を患っている方々にも対応できるというのが、当院ではインプラント外科医としても一つの得意分野なんです。

例えば非常に糖尿病のコントロールがよろしくない、だとか、骨粗鬆症で薬を服用しているとか、そういったときに主治医の先生と連携ができたりしなければいけないと思います。全身的な問題でインプラントを見送られているようなケースも、当院では対応できるような設備と技術と体制を整えながらやっていきたいと思っているんです。もちろん自分にも限界があるので、責任をもって信頼のおける自分のネットワークを通じて大学病院へ紹介したりするようにしていきます。

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